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「観光ではなく“感幸”アクティビティ」で伝えたい、徳之島の「なくさみ文化」【結や】

鹿児島県の奄美群島の一つである徳之島。奄美大島や沖縄本島北部などとともにユネスコの世界自然遺産に登録された自然豊かな島で、島と来島者の“ご縁結び”を大事にした「観光アクティビティ」を提供するのが、『結や』代表・福本慶太さん。徳之島出身の福本さんが提案する、観光ではなく“感幸”とは。活動に至った思いなどを伺った。

観光客と島人の双方が感じることができる幸せを目指して

『結や』の「E-bike(電動アシスト自転車)」ツアーに参加してみた。ガイドは福本さんだ。E-bikeツアーは、日本はもちろん、海外でも人気のアクティビティである。

実際に乗ってみたのだが、E-bikeは快適そのもので、やや斜度がきつい坂道でも楽々と漕げた。自転車の乗ること自体も楽しいが、漕ぐことに集中しないぶん、風景や、周りの様子に目を向ける余裕がさらに増える。ある通りで、福本さんが知り合いに出会った。

「こんにちは! 今日は畑作業ですか〜?」

参加する自分も、自然と島人に挨拶する。向こうも笑顔を返してくれる。何気ないことではあったのだが、その一連がとても心地よかった。

拠点のある、徳之島町を一望できる高台にも連れて行ってもらった。「有名な観光スポットではないですが、僕が徳之島で好きな風景の一つです。ここから見ると、徳之島の特徴がよくわかるんですよ」と福本さんが示す方角には足元から眼下いっぱいに原生林が広がり、その先には農地が点々と見えた。

「ご覧いただくとわかると思うのですが、徳之島の主産業は農業。見えている畑の多くはサトウキビやジャガイモなどが中心です。観光地化も周辺の島々、鹿児島の離島で言えば、奄美大島や屋久島とは比べたらまだまだ。一方で、島を覆う美しい森の一部は、2021年に登録された世界自然遺産の一部だったりもします」

限定的ではあるにせよ、世界自然遺産は旅行会社や宿泊施設など、一部の事業者に経済的な波及効果を与える。この、観光的に手つかずの島という部分と、大きな観光のうねりが起こりつつある、という相反した状況に、福本さんは疑問を抱いた。

「島が世界自然遺産となったベースには、自然と共存した島本来の暮らしがありました。そう考えると、誰かが責任を持って、地域と観光を繋げる役割を担わないといけないんじゃないか。島の自然や文化は島のみんなのもの。興味のある島の誰もが関われて、観光客と島人の双方が幸せを感じることができる観光というものを目指したいんです」

福本さんはそれを、観光ではなく、『感幸』と名付けた。

怖かった闘牛の、本当のよさを知る。

福本さんが目指す『感幸』を感じる顕著なツアーは、徳之島での代名詞でもある闘牛に関するものかもしれない。

闘牛と聞いて、どんなものを連想するだろう。巨大な牛同士がぶつかり合うさま、または、それを見る人たちが熱狂する風景かもしれない。実は、今でこそ闘牛関連のツアーを手がける福本さんだが、小さいころは怖いものだったという。

「牛同士の激しい戦いはもちろんですが、それを、目の色を変えて盛り上がる大人がいっぱいいる闘牛場が怖くて……正直近寄りたくはなかったですね。だからそれを島外の人におすすめすることも、僕はありませんでした」

それが今や、『結や』のメインコンテンツに。ここに至った背景は、そのツアー内容に込められていた。今回、そのツアーにも同行させてもらった。

伺ったのは、島内で闘牛が盛んなエリアの一つである花徳集落。闘牛の牛主さんの元へ行くと、驚きの連続だった。まずは闘牛の愛らしさだ。最初こそ、ちょっとナーバスな様子だったが、クリッとした目で、こちらをじっと見てくる。闘牛の荒々しいイメージとは全く真逆。牛主さんに促されるまま、干草を与えると、口をもぐもぐ動かして、おいしそうに食んでいる。かわいい。

「ブラッシングしてみますか?」

闘牛の牛にもブラッシングをするのだと正直びっくりしたが、牛が気持ちよさそうに受け入れている姿も新鮮だった。

「牛主さんは、朝に、晩にと、毎日2時間ほどはブラッシングします。自分の食事よりも牛のエサを優先して準備します。大会前には、専用のお粥を用意したりもします。また、徳之島を歩いていると、道や砂浜を歩く牛と牛主さんの姿を目にすることもありますが、それは散歩であり、闘牛のためのトレーニングの一環でもあるんです」

牛の散歩も意外だったが、それ以上に、牛主と牛の関係が、まるで家族のようであったことだ。牛舎には冷蔵庫があり、福本さんに言われるがまま中を開けると、大量のビールがあった。

「牛主さんは、牛を見ながらビールを飲むのが最高の幸せなんだそうです。今日お連れした牛主さんは、牛のことが大好きで、一旦は島を離れましたが、牛との暮らしを選び、島に戻ってこられた方。徳之島の闘牛の牛は、こうやって、たくさんの手間と愛情をかけられて育った牛ばかり。闘牛のことを学ぶにつれ、試合も大事なものですが、こういう普段の暮らし、風景を伝えたいという思いが強くなりました。“365分の1ではなく365分の364の日常”にこそ、闘牛のすばらしさはあると、僕は思うんです」

島にある「なくさみ文化」を伝えたい

闘牛のことを、もともと島では「牛(ぎゅう)なくさみ」と呼んでいたという。「なくさみ」とは、「慰める」という意味。農業の島である徳之島では、農閑期の愉しみとして、闘牛が始まったという。この“なくさみ”という文化を、福本さんはおもしろいと感じるようになった。ささやかな幸せを、自分たちでつくり出すことができる心の豊かさこそが、本当の島の魅力ではないか、と考えるようになった。

「集落で追い込み漁を行うことは『漁(ぎゅう)なくさみ』と言います。昔から、集落の人たちが集まってしていた漁であり、遊び。自分も参加させていたのですが、これが本当に楽しい。迷路のように入り組んだ珊瑚の地形を生かした追い込み漁で、獲れた魚をバーベキューにしたり。最高ですよね、そんな時間。今、自分が暮らす下久志集落の人たちと一緒に、観光アクティビティとして提供できないか、模索しています」

すでにモニターツアーのような形で幾度か開催し、福本さんは手応えを感じているという。ちなみに、福本さんが代表を務める組織である『結や』という名前には、“人と人、人と暮らし、人と自然を結ぶ、ご縁結び”がテーマに掲げられている団体。

「匂いや肌触り、そこに根付いている“人の記憶”みたいなものに触れたり。それらを土地の人と一緒に感じることこそを大事にしたい。自分たちでもツアーをつくりもしますが、島ですでにアクティビティを提供している人や団体へ送客することも積極的に行っています」

福本さんが尊敬するという、島で集落歩きなどのエコツアーを提供する『一般社団法人金見あまちゃんクラブ』の代表理事・元田浩三さんにもお会いさせていただいた。『結や』も積極的にコラボレーションし、送客を行っている団体の一つだ。

福本慶太さん(右)と『一般社団法人金見あまちゃんクラブ』の元田浩三さん

「福本さんの活動を応援しているというか、島の課題に一緒に取り組んでいるという気持ちもあります。自分が暮らす、徳之島北部にある金見集落は、昔は200人ほどが生活をしていましたが、今は70名いるかいないか。いつかまた、子どもの笑い声が聞こえる集落になってほしい、ツアーで来ていただいた人が気にいったらここに住んでほしい、そういう想いで立ち上げました」(元田さん)

徳之島に限らず、日本の地域、特に離島の人口は顕著な減少傾向にある。それをどう解決するか、は日本全体の課題だ。ただ、そこに対してのアプローチには、福本さんならではの哲学がある。

「当然のことなのですが、主役は地域であり、そこに暮らしてきた人たち。その人たちと、どれだけ対話を重ねられるかにか。人口がどんどん減っていく流れの中で、『今のままの島がいい』と島の人が言ったとしても、“今のまま”でいることは難しい。今のままがいいけど、変わらないためにどこを変えるか、といった議論を、集落側が主体性を保ちつつ、決められる機会をつくっていけたらうれしく思います」

金見集落にあるソテツのトンネル

「トクノシマン」と名乗る背景にある覚悟

高校進学のために島を離れた福本さん。高校時代を福岡で過ごし、その後は鹿児島大学へと進んだ。大学時代に、福本さんは故郷である徳之島と関わる活動を始め、徳之島の地域活性化を目的とした学生団体を立ち上げたり、大手企業と連携し、有志らとともに島に渡り、島の経済や未来を模索する「対話会」に参加したりしてきた。

地域おこし協力隊員として帰島してからは、島外メディアのための取材コーディネートや、大学生が島で学ぶ際のプログラム開発など、さまざまなプロジェクトに関わってきた。それらの活動が、今の福本さんのベースにある。

『結や』のスタートと同時に、福本さんはある肩書きを使い始めた。それは「トクノシマン」だ。「学生時代に、思い切って付けた名前なんですが……。島に帰ってからは、名前の持つ大きさを憚り、使っていなかったんです。でも、覚悟を決めました。先輩からの受け売りですが、この名前を使っても、批判されなくなったら本物。だから、ふたたび使ってみようって」

近い将来には宿を開業させたいという、新たな目標も手に仕入れた福本さん。若干30歳の熱き島人の挑戦は、これからも続く。

結や

「島童」

Photo:乾 祐綺

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