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「このまちには何もない」をシビックプライドへ。プロがみる地域ブランディングの本質的な課題【地域ブランディング研究所】

東京メトロ浅草駅からほど近いビルの8階に、株式会社地域ブランディング研究所はある。オフィスからは隅田川と吾妻橋といういかにも浅草らしい景色を窓一面に見ることができる。

新型コロナウイルス感染症の影響で観光客が激減し、多くの商店や企業と同様に浅草花街も苦境に立たされていた中で、この会社が東京都台東区のふるさと納税返礼品として「浅草芸者とのお座敷遊び体験」を企画・提供。台東区が同区ならではの魅力を発信する一助となっている。

「まちの誇りの架け橋」となり、日本各地の魅力を発掘して、地域の誇りを後世に遺していくためのまちづくりを仕掛ける、同社の代表取締役・吉田博詞さんに話を聞いた。

花街の文化をどうにか遺したい。浅草花街復興のために

江戸時代中期に浅草寺の近接地に誕生した浅草花街。現在は浅草3丁目から4丁目に位置している。大正時代には1000人以上の芸者がいて、料理屋は約50軒、待合茶屋は約250軒あったという。花街は昭和30年代前半に最盛期を迎えるが、その後、後継者不足から衰退傾向となり、芸者や料亭の数もかなり減って、今は存続の危機に瀕している。

花街の貴重な文化をどうにか遺したいと考えていた東京商工会議所の台東支部から相談を寄せられたのが、同社が浅草花街のプロデュース的な役割を担うきっかけだった。

まず取り組んだのは、花街を知ってもらうためのルールブック的な『浅草花街いろは』という冊子づくり。浅草花街の歴史、お座敷を楽しむための基礎知識や、実際にお座敷体験ができる料亭の情報などを一冊にまとめた。その後、花街の「見番」(料亭・芸者・置屋からの組合費で運営される連絡事務所)からも、観光プログラムの造成など多岐にわたるサポートを依頼されるようになった。

花街での芸者遊び体験プログラムは、冒頭で述べたようなふるさと納税の返礼品としてだけでなく、欧米豪の観光客からの需要も多い。

「利用者から見ると、芸者遊びって敷居が高そう、予約が難しそう、というイメージがあるんです。そして見番さん側は、情報発信の仕方がわからない、海外からのお客さんへの対応が難しい、という問題を抱えていました。そこで、うちが窓口としてコーディネート的な役割を担うことで、見番さん側も受け入れ体制ができ、予約も続々と入ってくるようになりました」

浅草の資産としての花街の文化を、地域のために活かし、還元していく。そのよい循環が出来上がっている。

浅草花街の「見番」。芸者衆の管理、花街の運営にあたる

浅草で起業。「このまちから拠点を動かすつもりはないですね」

2013年に会社を立ち上げてから今年で11年目。「地域ブランディング研究所」は浅草という地域に根ざした企業として、祭りや、町会の定期的な清掃活動に積極的に参加している。その中で地域の人たちと築き上げてきた信頼関係は大きい。

吉田さん自身、社会人になってからずっと浅草に住んでいるという。

「浅草には下町情緒があって、都会にいながら歴史や文化も感じられるし、三社祭をはじめとしたイベントも多い。ここで感じられるワクワク感が個人的にとても好きだったんです。インバウンドの文脈で見ても、やはり東京を代表する観光地ですし、ここでトレンドを掴んでいけるということも含めて、浅草に会社を構えるメリットは多分にあるんだと思います。ここから拠点を動かすつもりはないですね」

浅草は歌舞伎とも関係が深い。同社は、数々の作品の舞台にもなり歌舞伎の隆盛を極めたこの地を、歌舞伎役者とともにめぐり、浅草と歌舞伎の関係について学ぶツアーなどの企画も進めている。モニター参加した本物志向の欧米豪の旅行者からは、「日本の伝統芸能である歌舞伎の役者と、東京を代表する観光地・浅草をめぐれるなんて素晴らしい」という感想が寄せられたそうだ。

ほかにも、伝統工芸の職人を訪ねるなど、旅行者が「浅草に根付いた本物の文化に触れ合える」ような観光プログラムづくりを心がけているという。

弟子入りを志願して入った、地域創生の世界

それにしても、なぜ吉田さんは惚れ込んだ浅草で起業するまでに至ったのか。そのきっかけは大学時代にまでさかのぼる。

広島県廿日市市で育った吉田さんは、関東の大学への進学を決めたものの、いずれ地元に帰って地域に貢献したいと考えていた。やがて地域活性化やまちおこしといったテーマに興味を持ち、進学した筑波大学では都市計画を専攻。

「建物や橋を造る土木的なことだけではなく、あるエリアをどのようにして人が来る場所にしていくかということや、どんなアプローチをしていけば地域が元気になっていくか、といった都市開発全般を学びました」

大学で学ぶ中で、自身がプロデューサー的な存在となって地域を活性化していきたい、と思うようになったという。そこで、書籍やインターネットなどで見つけた「この人の生きざまは面白いな」と思う地域活性化のプロたちにメールや手紙を書いて送り、弟子入りを志願する。

「あなたのもとで勉強させてください、と直接お願いしました」

そして、カバン持ちでもいいから、と弟子入りを志願した地域活性化を職業とする人たちに吉田さんの熱意が伝わり、この分野で仕事をしていくにはどのようなスキルが必要か、どのようなステップを踏んでいけばプロとして生きていけるのか、ということを学ばせてもらったという。

そんな中、OBからの紹介経由で知り合った藤崎慎一氏がきっかけで、当時リクルートにあった「地域活性事業部」にアルバイトとして出入りするようになる。今でこそ、地域活性化や地方創生といった分野が世間で一般化されているが、今から20年ほど前の当時は、まだ「村おこし」や「地域おこし」といったワードがちらほら出はじめていたころ。民間企業でありながら地域活性化を事業とし、面白いことを仕掛けている、というところに魅力を感じた。

その後、リクルートに入社して住宅情報ディビジョンに配属されたが、地域活性化の事業を自ら起こした藤崎氏のもとで働きたいと「地域活性プランニング」に転職。そこで7年を過ごしたのち、自身の会社である「地域ブランディング研究所」を設立した。

地域の人々に誇りを持ってもらいたい。「まちの誇りの架け橋」としてできること

地域ブランディング研究所が創業理念として掲げているのは「まちの誇りの架け橋」という言葉。何もしなければ廃れてしまいかねない「地域の誇り」のようなものを、後世に遺していくための架け橋になりたい、という想いが込められている。

地域住民から「このまちには何もないんです」といったネガティブなことを言われることも多い。しかし、外から客観的な目線で見てみると、その地域独自のいいところや、埋もれている魅力的な資源に気づいたりする。同社では、その地域の独自化要素を見出し、それらの「誇り」を地域に浸透させていく。そして仕組みを整えることで持続的に収益を得られるようにして、まちが“自走”できる     状態にしていくための戦略を立案している。

「シビックプライドという言葉があるように、地域の皆さんに、まちをしっかりと誇りに思ってもらうにする。そのためにわれわれは、まちに通い詰め、まちの人々の話を聞いて、地域の懐に入り込むようにしています。より地域に密着するため、メンバーの地方移住も進めているんです」

「また、地域の皆さんと“同じ釜の飯を食う”ではないですが、一緒になって汗をかいて、イベントがあれば顔を出すなど、ローカルにしっかりと入り込ませてもらい、そこで勉強させてもらう、ということを大事にしています。そして、地域のプライドがしっかりと醸成されていった上で、われわれが介在しなくても、地域経済がうまく回るようにしていく。それが地域の自走の姿として理想的だと考えています」

地域のファンが増えて、収益性が担保される事業の豊かなサイクルが出来上がることが望ましい。それこそが、同社が社名としている「地域ブランディング」につながる。

広島県廿日市市の“誇り”を活かした取り組み

地域活性化のもう一つの事例として、吉田さんの出身地である広島県廿日市市での取り組みを挙げてもらった。

ユネスコの世界文化遺産にも登録されている、嚴島神社がシンボルの宮島。日本屈指の観光スポットであるこの島は、実は過疎地域として認定されており、住民数の減少が問題になっているという。そこで同社は、行政と協力して島づくりの組織の立ち上げを支援し、地域住民が主体的に動きながら島の未来を一緒に考えていくための取り組みを進めている。

また、宮島ではかねてから、観光客の増加で環境が悪化するオーバーツーリズム(観光公害)の問題が指摘されていた。人口1500人ほどの小さな島に、ピーク時には年間450万人もの旅行者が訪れる、となれば当然の問題だ。

そこで企画したのが、一極集中になりがちな宮島中心部ではなく、廿日市市独自の文化や自然を体験してもらうことで、同市の知られざる魅力を体験できる滞在プログラム。

たとえば、宮島の裏側の雄大な自然をベテランガイドの案内で楽しめるシーカヤックツアーや、島の9つの浜にある神社を船で回る、古くからの風習「七浦巡り」ができるボートクルージングなどである。

宮島沖に浮かぶ牡蠣筏をモチーフにしたラウンジ船「HANAIKADA」でのクルーズツアー。写真提供=地域ブランディング研究所

また、宮島の対岸に位置する宮浜温泉エリアでは、地元の漁師の案内で海一面に広がる牡蠣筏を漁船で訪れ、牡蠣養殖について学ぶことができるプログラムや、瀬戸内の穏やかな海の時間をカヤックや筏型の船の上で体感してもらうといったプログラムも展開している。温泉管理組合や牡蠣養殖事業者、渡船会社など地域の人々が、本業とリンクして地域の良さを稼ぎの一つにしていくことを目指しているという。

「宮浜温泉の組合では、若手がすごく頑張っているんです。彼らと一緒に、嚴島神社だけではない宮島の魅力を体感してもらう滞在プログラムをつくっています」

目指すのはサステナブルツーリズム

吉田さんが最終的に成し遂げていきたいことを尋ねると、「サステナブルツーリズム」という言葉が返ってきた。地域の文化や自然、そこで大事にされてきた地域のアイデンティティなどが、オーバーツーリズムによる環境への負荷、人口減少といったことが原因でなくなってしまうことがないように、「地域の未来」について考えていくことが必要だという。

観光と地域のあり方のほどよいバランスとは? 地域が持続していくために、観光客と地域住民との交流はどうあるべきか? 「地域の未来」を見据えた観光プログラムや、地域経済の循環モデルの創出が、ますます同社に期待される。

Photo:一井りょう

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