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「宿でのマグロ刺身の定番化は正解?」地域の“食文化”を守り継ぐ宿の視座【アクアイグニス】

鈴鹿山脈山麓に位置する三重県菰野町(こものちょう)。1300年の歴史を誇る「湯の山温泉」を舞台に、“食”と“癒し”をテーマにした複合温泉リゾート施設「アクアイグニス」が誕生した(2012年)。一流パティシエの辻󠄀口博啓シェフをはじめ国内屈指のシェフが手がける美食と、100%源泉かけ流しの天然温泉、自家農園でのいちご狩り、国内のアーティストが監修した宿泊施設など、のびやかな自然と融合するスタイリッシュな複合リゾートが、全国から注目を集めている。温泉のように絶え間なく湧き出るこの場所の魅力を生み出す、2人のキーマンを訪ねた。

たった1人で描いた夢に、年間110万人を動員

開湯1300年、かつては御在所岳の修験者たちが浸かっていたと言われる「湯の山温泉」。ここで後継者のいなかった「片岡温泉」を受け継ぎ、4年間暖簾を掲げてきた人物が「片岡温泉」後継者であり「アクアイグニス」代表取締役を務める立花哲也(たちばなてつや)さんだ。2012年、“癒し”と“食”を軸とした複合温泉リゾート施設「アクアイグニス」を立ち上げると、年間110万人が訪れる話題のスポットに。地方創生のシンボルとして全国的な注目を集めている。

地方の温泉宿の快進撃は、一体どのように始まったのだろう。立花さんが引き継いだ「片岡温泉」はある時、新名神高速道路の工事に伴い移転を迫られた。「年間80万人ぐらい観光客がいて、いいお湯が湧いて、三重ならではのいい食材もあった。ただ、それを魅せる料理がなかった。かっこいい建物がなかった。地方の旅館はどこもそうなのかもしれないけど」。そう振り返る立花さんは地方に眠る宝をどう料理するか、そこが鍵となると考えた。

世界一のパティシエの心を動かす熱量

温泉宿に人を呼び込むためには、“スイーツ”が呼び水になると考えた立花さん。「せっかくなら世界一のパティシエに依頼したい」と向かったのが、数々の世界大会を制してきた日本を代表するパティシエ辻󠄀口博啓(つじぐちひろのぶ)シェフの元だった。

「当時、辻󠄀口シェフは自由が丘の本店と駒沢公園のそばに2店舗を構えていました。店舗に7回足を運んで、ようやく話をするチャンスを得ました」と笑うが、立花さんの気持ちは本物だった。無名の地方都市・三重県菰野町で苺農園を併設したパティスリーを開く構想を語り、世界一のパティシエの首を縦に振らせることに成功したのだ。

およそ耳を疑うような話だが、辻󠄀口シェフはついには駒沢の店舗を閉め、スタッフと機材を丸ごと三重県に移転することを決意したという。さらには辻󠄀口シェフの紹介で、山形県鶴岡市でイタリアンの店を営み、世界的にも活躍する「アル・ケッチァーノ」の奥田政行シェフ、2015年にはもっとも予約の取り難い日本料理店のひとつとして知られる渋谷区恵比寿の「賛否両論」の料理人・笠原将弘さんも参画が決まった。このことに弾みをつけた「片岡温泉」の新天地でのテーマは、“食”となった。

「振り返ってみると、辻󠄀口シェフの存在が大きかった」と率直に語る立花さん。「片岡温泉」から「アクアイグニス」に生まれ変わったこの場所には、世界に名を馳せるトップシェフが手がけるレストランがあり、古来から伝わる源泉かけ流しの天然温泉と農園、宿泊施設が存在するのは、本気で関わっていこうという一人一人の思いがあってこそだ。

「辻󠄀口シェフとともに東京から来てくれたスタッフも本気だった。だからこそこの10年で三重で雇ったスタッフたちも育ったのだと思います」。つながりがつながりを呼んで「アクアイグニス」の今がある。

地域に残る食文化を守り継ぐ場をつくる

「アクアイグニス」の事例を元に立花さんは今、全国の地方都市を駆け回っているという。「僕が常に言っているのは、地方の宿へ行けば必ずマグロの刺身が出てくるけれど、そうじゃない」。“食”という切り口で見れば、地域ごとに必ずカラーがあって、そこに地方ならではの魅力が隠れているからだ。

「地域が違えばとれる食材も、発酵の文化も、人も建築も風景も違う。“食”という基盤は同じでも、まったく違うものが出来上がるから面白いんです」と立花さん。違いがあるからこそ魅力的な展開ができるし、そこでブラッシュアップしたものを発信することで、地方は再び活力を取り戻すことができるという。

“身近にあるものを使って作る”という動きがピースとして欠けていた時代。そこからいち早く脱却した「アクアイグニス」のノウハウを全国の地方都市に渡していきながら、町中華や居酒屋、定食屋に残る地域の食文化を守っていきたいと立花さん。

「放っておけばナショナルチェーンに淘汰されていく地域の文化を守り、再生し、継続させる。その原動力を生み出す場を作りたい」。その言葉を聞いていると、人口や文化の都市一極集中から、地方分散型にシフトする社会は、すぐ目の前にあるような気さえする。人間が生きる上で欠かせない、水(アクア)と火(イグニス)。これは地方と都市の象徴だろうか。相容れないと思っていた2つのマテリアルを融合させたのは、理想を叶えたいと願う人の“本気”だ。

素材と向き合えば“地域”が見える、地域を語るひと皿を届けたい

地元の食材が踊る軽やかな味わいのイタリアン。その一皿にほだされ、この場所に毎月通うリピーターも少なくないという。奥田シェフの手掛けるレストラン「サーラ ビアンキ アル・ケッチァーノ」「イル・ケッチァーノ ミエーレ」で、そのDNAを受け継ぎ、腕を振るっているのが今回話を伺った鈴木伸矢シェフだ。三重県鈴鹿市に生まれ、料理の専門学校を卒業後は、名古屋のフランス料理店や、ホテルで修行を積み、故郷の三重県へUターンした期待の星だ。

「奥田さんの料理哲学として、『基本的に自分で料理をしない』というスタンスがあります。それはどういうことかというと『食材と食材を掛け合わせ、素材が主役になる料理を考えなさい。』ということです。それは一見簡単なように聞こえますが、実際はすごく難しくて」と鈴木さんは、はにかんだような笑顔を見せる。

「奥田さんはすごく自由な発想を持っていて、立場に関係なく『たくさんの料理を考えなさい』と機会を与えてくださる方です。ここで料理の味をみてもらうんですけど、その度に『僕が流行ったのが20年前、今は時代は流れてる。だから君たちの料理が必要なんだよ』と言ってくれます。そんな人柄のシェフだから僕もこれはどうですか、あれはどうですか、と臆することなく意見をもらうことができます。本当に一緒にやりやすい、ありがたい存在です」

素材の味を生かす、その奥深さを痛感

奥田シェフ料理の哲学の真ん中には地産地消があり、素材を生かすことが大前提にある。「基本はお皿の中に3種類の素材を使って味をまとめます。それが4つになると、1つの素材の味が無駄になったり、雑味になるというのが奥田さんの考え方のひとつにあります」と話す鈴木シェフだが、元々の出身はフレンチ。手の込んだフレンチから、素材を生かすイタリアンへ、その切り替えに苦労したことはなかったのだろうか。

「最初にフレンチを学んだシェフが、京都出身のシェフで素材を生かす方だったので、ジャンルは違っても奥田さんのポリシーは素直に受け入れることができました。一方で、素材の掛け合わせに関してはとても繊細な感覚の持ち主である奥田さんが出したい味というのは、やはり山形の野菜の味がベースにあります。そこを三重県の素材を生かしながら、再現するのはすごく難しいですね」と鈴木さん。

例えば同じトマトでも山形のそれとはまた違い、味わいが変わってしまうのだという。「奥田シェフの料理を再現するときは、シェフがどういうふうに考えて、どういう狙いでこの料理を作ったのかを解釈して、同じ考えを持った上で三重の素材としっかり向き合って作らないと到底再現できない。そこが非常に難解なところです」。

「素材の味を引き立てる」。それはシンプルなようでいて、実は高度な技術と光る感性を要することは言うまでもない。めまぐるしく変わる旬を追っては、それを生かす最適な料理は何だろうと考える日々だという。料理人としてハードルを感じながらも、その情熱は冷めることはない。「今後は、地球にやさしい料理を作りたい」と鈴木さん。例えば今日のようにトマトを使うと、トマトの皮と種が残る。それを干してパウダー状にしたものは、魚に合わせて風味と彩りをプラスする。素材を余すことなく生かす料理は、無駄がない。

時間を忘れる、癒しの食事体験を

近年は、地域の人たちと一緒に敷地内の畑で育った無農薬野菜を育てる取り組みも始める中で、この場所を通じて目指すものも決まったという。「皆さんが好きな料理というのは、やっぱり家庭料理なんです。そこで料理人として活躍するには、やはり生産者さんから食材を運んでいただく中で、土づくり、気候、地形的な特色、育てる背景、素材の持ち味、もっというと生産者さんの心象風景まで吸い上げるくらいの心持ちで素材と向き合うほかない。その一皿で地域を語れる料理を提供することで、地域を盛り上げたいと考えています」

少し前にスペインのサンセバスチャンを訪れ、そこで見た食事の光景に忘れかけてたものを思い出すことができたという鈴木さん。「スペインの方は、ご飯を食べるときにすごく楽しそうにゆっくり食べます。日本とスペインの文化は違うかもしれませんが、この店に来られた時には、気づいたら3時間経ってたというくらい、前菜からデザートまでゆっくり味わって癒やしを感じてもらえたらうれしいですね」

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