読むふるさとチョイス 地域の挑戦者を応援するメディア

想いを共感する人と繋がり、ビルの中に “小さな街”をつくる【オプティカルヤブウチ】

福島市の中心部、県庁通りにある5代続く眼鏡店を経営する藪内義久さんという人がいる。県内・県外の人に福島のことを語るとき「この街のキーパーソンのひとり」と言っても、間違いはないだろう。その理由のひとつに「眼鏡店で眼鏡を売る」という、ごく一般的な経済活動の範疇に収まらない取り組みをしていることが挙げられる。親から受け継いだ「ニューヤブウチビル」を自らの手でコツコツと改修し、「オプティカルヤブウチ」を作った。

さらに、想いを共感する人たちをビルに誘致し、街に新しい文化を発信している。福島になかったエッセンス、かつては存在していたが失われてしまった景色……。藪内さんは福島の未来を見据え、誰かの心を温めるような何かを、一人ひとりに丁寧に届けようと行動している。そうしたビジョンに辿り着くまでの道のり、人生をかけて取り組む「街づくり」への想いについて話を聞いた。

父から受け継いだビルを、自らの手で改修すること

家業は代々続く眼鏡屋。20代前半の藪内さんは、生まれ育ったその環境の重さに向き合えずにいた。

元々は時計店専門店だった「オプティカルヤブウチ」。眼鏡屋に業態を変え、代々受け継がれてきた。140年以上の歴史を持つ老舗の眼鏡屋だ。

「家業を継いで、一般的な眼鏡屋になることに抵抗があったんです。高校を卒業してから眼鏡の専門学校に通いましたが、以前からプロダクトデザインに興味があり、デザインについて深く学びたいという思いがありました。あるとき、父にデザインの学校に進みたいと相談したところ、残念ながら共感は得られず。それならば、1年間海外に行き、いろんなものを自分の目で見てみたいと思って。自力で貯めた資金でイギリスに留学しました」

福島から海外へ飛び出した藪内さん。たくさんの刺激を全身で受け止める日々を過ごす最中、父から突然連絡が入ったという。

「『帰って来ないつもりなら店を閉める』と言われて。いきなり決断を迫られることに。戸惑い、思い悩みましたが、自分の代で家業が途絶えてしまうことを考えると心苦しい想いが消えず、帰国することに。当時、『ニューヤブウチビル』のテナントが全て空いたんです。それが2004年。かつてビルに入っていた店は、美容室、スナック、雀荘など。いわゆる雑居ビルといった佇まいでした」

福島を離れている間にかつてあった店がなくなり、街にも人が少なくなった。変わりゆく景色を眺めているうちに「自分の手で店を作ろう」という気持ちが自然と芽生えたという。

好きで買い集めた古道具やアンティークの什器を基調にインテリアを整えた店内。作り手の想いが感じられる国内外のブランドの眼鏡や時計を美しく飾りながら陳列。個人に合った眼鏡の提案、最新の検査機器を使った度数検査、アフターサービスなどを丁寧に行う。店内の奥では藪内さんがセレクトした雑貨も販売している。

“見たい景色”を仲間と共に作っていく

「やっぱり、型にハマった眼鏡屋だと面白味がないと思って。内装も人に全部任せると自分の色が出せないので友人の木工職人に相談しながら、自分のアイデアを具現化してもらうことにしました。店を作ってみたら、空間作りがどんどん楽しくなっていきました。仕事を終えたあとに、夜な夜な空きテナントに手を加えて、改修し始めて。そうしたら、レコード屋をやっているDJ Marcyさんというセンス抜群の人から『ここ、面白いね』と声をかけてもらって。彼が営む『Little Bird』というレコード屋がビルに入ってくれることになりました」

2Fにある「Little Bird」。DJ MARCYこと店主の板倉雅典さんがセレクトした60s〜80sのレコード、音楽に関連した雑貨、ファッションアイテムが楽しげに飾られている。板倉さんのコレクションと呼べるようなお宝的なものに巡り合うことができる。

ビルのテナント経営を担う藪内さん。入ってもらう店の基準として大切にしているのは、「ともに仲間として一緒に歩みたい人であるかどうか」。第一にそれを考えた。一般的なテナント経営といったら、どんな店でもいいから、早く入ってもらって利益を上げてくれることを善とする資本主義的な考えがベースにあることが多い。だが、藪内さんには、そうした“生き抜くための効率”を重視したやり方は頭にない。

「それは、自分が見たい景色を一緒に作り出してくれる人と繋がって、“街づくり”をしたいという強い想いがあるから」

「Little Bird」の隣には、花屋「Total Plants bloom」が店を構える。東京から地元・福島に戻った芳賀敏泰さん(写真左)が雰囲気のあるニュアンスカラーの生花、ユニークなカタチをしたグリーンなど多種多様な植物をセレクト。「もともとは、自分が客として通っていた店なんです。顔見知りになるうちに、親睦が深まりビルに入ってもらいました」と藪内さん。

福島の未来のために道を切り拓き、共に笑い合える仲間ができた。そして、さらに心強い仲間が増えたという。藪内さんが何度も熱いラブコールを送ってビルに入ってもらったという「食堂ヒトト」だ。地元の食材やオーガニック食材を使ったからだにやさしい料理を提供する人気店で「ここの定食を食べたい」とランチタイムに列を成す人が跡を絶たない。

玄米ごはんと味噌汁、季節の野菜が主役のおかずがバランスよく並ぶ。一品一品が滋味深く、心安らぐ食事の時間を届けてくれる。「スタッフと話合いながら、自分たちが食べたいと思うものを作っています」と料理担当の宍戸佑三子さん。店内では展示を行うことも。この日は、イラストレーターの小池アミイゴさんの絵本『はるのひ』の原画の展示が。

ここはホームだと思える、心安らげる食堂を

「『食堂ヒトト』は、奥津爾さんという方がオーナーでした。もともとは、吉祥寺で『ヒトト』という名前で運営されていた店です。建物の老朽化に伴い、建て直しとなるタイミングでお店を閉店されることになったので、『福島に来て、『ヒトト』を続けてほしい』というお願いを奥津さんに真っ直ぐにぶつけてみました。自分自身が足を運びたくなるような、安心しておいしいものが食べられる食堂が福島の街にあったらどんなにいいものか、と。そう思ったのがシンプルな理由です。願いが叶えば、街の人たちに安全な食べものが届けられるし、食べものに対する意識がぐっと高まるのでは、という確信めいたものがありました。ですが、そのとき、奥津さん家族は自分たちの暮らしを作り出そう、と長崎県雲仙市に移住されて間もない頃で。僕のお誘いは何度か断られてしまったんですよね。それでも諦めずに直接会いに行って、対話を重ねるうちに福島にくることを承諾してもらえたんです」

藪内さんの熱い想いが伝わり、ひとつの夢が叶った。今では、奥津さんは雲仙での活動に力を注ぐために「食堂ヒトト」の経営は藪内さんが行っている。「ヒトト」のスタイルはそのままに、食べることが大好きなスタッフがからだにやさしい食事をこしらえている。安全な野菜づくりをしている農家さんが作った食材を使って丁寧に調理された一品は、一度食べたら忘れられない、そっと心に寄り添ってくれる味わいだ。

「食堂ヒトト」の隣のスペースには小さなギャラリー「OOMACHI GALLERY」がある。藪内さんが、福島の人に「アートを身近に感じてほしい」という想いから作ったスペースだ。隣り合っていることでそれぞれの場所を訪れた人が立ち寄り、いい循環が生まれているという。

古木や流木を使って船を作り続けている作家・玉井健二さんの展示「tamaken ship」。

街なかで、美しいものに出会うきっかけを届ける

「僕がリスペクトする福島市を拠点に活動するアーティスト、JUN KANEKO/金子潤さんとともに一緒に始めたギャラリーです。気軽に新たなカルチャーを発信できる場が欲しかったんです。小さなギャラリーなので、二人が気になるアーティストを街の人に紹介する感覚でやっています」

福島が楽しい街になるように、思い描く理想の景色を信頼できる仲間と一緒に作っていく。震災という辛い経験を乗り越えたからこそ、踏み出す一歩は確かで、力強い。「昨日より明日」がいい日になるように、と藪内さんは純粋に願っている。

「僕は自分たちのコミュニティだけが幸せであればいい、という考えは全くありません。常に後の世代のことも考えながら行動で示していきたいと思っています。大人が格好悪いことをやると若い人たちはもの凄く敏感。だからこそ、自分たちが純粋に『綺麗だな』『美しいな』と思ったことをしっかりやっていくことが何より大事なんです」

責任と覚悟が滲む言葉は、自分が生まれた街を深く愛しているからこそ口に出すことができるもの。福島で暮らす人に笑顔が増えるように、藪内さんは、新たな試みを計画しているという。

「『オプティカルヤブウチ』の真ん前にある60年前の建物を取得して、そこを改装しようとしています。花屋の『Total Plants bloom』を移転。そして、カフェやクラフト作家の工房を作ります。アパレルショップも入る予定です。完成したら定期的にマルシェをやって、街を盛り上げて行きたい。新しいことに挑戦するとき、常に不安やプレッシャーは隣り合わせですが、何より『やってみたい』という自分の直感を信じてみたくて」

生まれた育った街に無いものは、自分の手で作る。ときには、仲間の手を借りながら。藪内さんの新たな試みが実を結んだとき、福島はさらに活気のある街に生まれ変わっているに違いない。

オプティカルヤブウチ

Photo:阿部健

この記事の連載

この記事の連載

TOPへ戻る