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山の恩恵を守り、受け継ぐ「FIL」のものづくり【FIL】

阿蘇くまもと空港、熊本市現代美術館、HAB@熊本。ここ数年、熊本県内で生まれ変わる新たなランドマークでは、必ずといって良いほど、阿蘇が誇る建材・小国杉を使った「FIL」のプロダクトに出会うことができる。それもそのはず、FILは2017年のローンチ以来、世界中のメディアから注目を集め続けているライフスタイルブランド。人の幸せの根源を問い続けるFILの歩みと地域への思いを、代表の穴井俊輔さん、妻の穴井里奈さんに聞いた。

1本の木から生まれる計り知れない自然の恩恵

小国杉を活用したライフスタイルブランド「FIL」が拠点を置くのは、熊本県阿蘇郡南小国町。世界最大級のカルデラを有し、今も火山活動が続く阿蘇地域の北側に位置する、人口約4,000人の町だ。江戸時代には藩の政策として杉の植林を熱心に行い、先人たちが植えた杉は、250余年のときを経て「小国杉」というブランド材へと育った。火山灰を含む阿蘇の肥沃な土壌、厳しい寒暖差が生み出す小国杉の美しい色合いと艶は、唯一無二の個性といえる。そんな豊かな山里に生を受けたのが、今回の主人公のひとり、穴井俊輔さんだ。

当時、町に30以上あった製材所のうちの1軒「穴井木材工場」の長男として生まれた俊輔さん。若い頃は故郷への感慨も乏しかったそうで、まだ見ぬ地での成長を求めて東京の経営コンサルティング企業への就職を決めた。コンサルタントとして多くの経営者と接する中で、自分が人生で大切にしたいことは何なのか? 深く考えるようになった俊輔さんは、学生時代に世界中を旅し、再び訪れてみたいと思っていたイスラエルに留学。そこで出会った言葉が、人生の方向性を大きく変える転機になったという。

「荒野に1本の木を植えることは、ひとつの国をつくるようなものだ、と教えられました。木は貴重な水と緑をもたらし、そこに鳥たちが憩い、木陰には若い家族が住まうようになる。そうして集まってきた人々が暮らしをつくり、文化を担っていくのだ、と」

思い出したのは、山の恩恵を暮らしに役立て、山を守り続けてきた実家の稼業だった。「実は、すごく価値のあることをしているのでは?と気づいた瞬間でした。ちょうどその頃、代表を務めていた父が体調を崩し、戻って来ないかと声をかけられたんです」

かくして、東京で出会った里奈さんとともに、南小国町に腰を据えることになった俊輔さん。製材所の仕事に取り組みながら考えたのは、稼業のこれから、ひいては地域全体の将来像だった。「小国杉は、建材としては充分すぎるほどのネームバリューがありますが、家具には向かないとされ、完全にプロユースの素材でした。また、柱や梁材を切り出す際にたくさんの端材が出ること、景観を守るために伐採する間伐材の使い道が定まっていないことも、改めて認識しました」(俊輔さん)

「だから、最初は温泉街で売れるような、小国杉を使ったお土産ができたら良いね、建築以外の用途を探っていきたいねと話していたんです。それが私たちのものづくりの原点ですね」。

里奈さんはにっこりと笑う。プロトタイプとして端材でサンキャッチャーを自作し、マルシェに出店してみたところ、予想外の反響と手応えを得た。2013年頃のことだ。「それから、少しずつ改良を重ねたり、アイテムを増やしたり、大きなイベントに出させていただくようになったり……。大きく意識が変わったのは、2016年の熊本地震の後です」(里奈さん)

 「昔から、南小国町を説明する際は必ず“あの黒川温泉の”という枕詞がついていました。ところが、その頼りの黒川温泉に人っ子ひとり来ない。これは大変だと思って」と当時を振り返る里奈さん。俊輔さんは「なぜこれを作らなければならないか突き詰めたプロダクト、作り手の生き様を表現できるようなものづくりをしなければ、という切迫感がありました」と話す。そこで生まれたのが、FILの代名詞ともなった間伐材を活用した家具、廃材となる杉の葉を蒸留して抽出するエッセンシャルオイルといったアイテムだった。

「自分たちや地元の人的資源だけでは、思い描いたものを完成させることは難しい」と感じた俊輔さん。縁を辿って総合ブランディングに「BEES&HONEY」の今村玄紀氏を迎えると、家具のデザインに「Canuch Inc.」の木下陽介氏、店舗設計に「ようび建築設計室」の大島奈緒子氏と与語一哉氏、ウェブサイト制作には「Garden Eight」の野間寛貴氏ら、さまざまな分野のクリエイターが集結した。

「お金はこれだけしかない、でも小国杉ならどれだけでもあります!と言って(笑)幸い、チームの皆は南小国をとても気に入って、何度も足を運んでくれました」(俊輔さん)

人は何によって満たされる?存在そのものが問いとなる家具

FILのプロジェクトがリリースされ、旗艦店となる「FIL STORE」がオープンすると、洗練されたビジュアル、そして何より誰も見たことがなかった小国杉の美しさに、国内外から注目が集まった。ほんのりと赤みのさした木肌、豊富な油分から生まれる、しっとりとした手触り。従来では考えられなかった繊細な金属フレームとの組み合わせ。小国杉独特の魅力を充分過ぎるほどに伝える家具には、メディアの取材が殺到しただけではなく、南小国に興味を持ち、訪れる人も後を絶たなかった。

©︎Foreque Inc. 

「これはチームのメンバーも言ってくれたことなのですが、南小国に来ると、なぜか満たされるのだと。訪れるほどに興味が湧き、好きになると。先祖代々、人を受け入れ、もてなしてきた土地や人のポテンシャルもあるのでしょうね。そこから“fulfilling life”というコンセプトが生まれました。たくさんの情報や物質がなくても、人と人、地域と人が強く結びつけば、そこには満ち溢れるものがあるのではないか?という問いかけです。まだ、その問いが正解かどうかは分かっていませんが」と俊輔さんは微笑む。

“満ち溢れる人生”を問い、寄り添うFILのプロダクト。家具とエッセンシャルオイルに次いで生まれたのは、森の香りを閉じ込めたハーブティーと、阿蘇の湧水を使ったフレーバーソーダ「ASODA」だった。「建材が少しずつ暮らしに馴染んでいく過程を想像すると、家具の次は食卓だなと思って。木のある暮らしに彩りを加えられるもの=食品が少しずつ増えていきました(里奈さん)」

©︎Foreque Inc.

阿蘇の山々に降りそそいだ雨水は、森から湧き出でて筑後川の源流となる。そして有明海へと流れ込み、海の生態系をも守っている。そんな生命の循環をも感じられる、実にFILらしいプロダクトと言えるだろう。

水面に浮かぶ故郷の原風景「喫茶 竹の熊」に憩う

FILを語る上で欠かせないのが、2023年の春にオープンしたおもてなしの場所。「喫茶 竹の熊」は、水庭の上に建つ板の間と極めてミニマムな設えの室内、そして南小国の美しい景色を鏡面のように映しとる池で構成された、不思議で心地良い空間だ。

「建築家の下川徹さんに、南小国の田畑を見渡し、並び見て、見上げられる建物にしたいとお願いしました。地元の風景を守りたいという思いが先行したら、こんな建物になりまして」と俊輔さんは破顔する。水面を微かに揺らす波紋が静かに広がっていく様に見惚れていると「この池も本当〜に大変で!」と里奈さんが笑いを噛み殺しながら教えてくれた。

「水を張るだけでは、すぐに藻でいっぱいになってしまうんです。だから、藻を食べるタニシを入れて、魚を放して、いつの間にかアメンボがやってきて……池の中に小さな生態系ができてしまいました(笑)」。地域に根を張り、愛される場所を築き、生命を繋いでいく。そこには、荒野に1本の木を植えるのと同じ、原始的で温かな人間の営みが見て取れる。

池の上に張り出した板の間(普段は一般客も靴を脱いで上がり、喫茶を楽しむことができる)では、上棟式と新嘗祭で、地域に古くから伝わる神楽が舞われた。新嘗祭という言葉自体も、どこか懐かしく令和の世では馴染みの薄いものになっているように思われるが……。

「地域のお祭りが少なくなっていっているからこそ、ここでは毎年、続けていきたいと思っています。神様や自然に一年の実りを感謝するのはもちろん、生産者と顔を合わせて、今年も頑張ったね、良かったねと祝い合える機会って少ないですよね(里奈さん)」

「お店で提供している豆乳のパンナコッタは、近所のお豆腐屋さんが毎朝、絞っているもの。おこわに使うお米は、私たちの田んぼで収穫したものです。可能な限り、地域のもので町内外の人たちをおもてなしできたら」と里奈さん。小学5年生になる穴井家の長男と、その友人たちはFIL STOREに併設されているLabでお手伝いをして、竹の熊でおやつを食べるのが日課だという。中には「大人になったらここで働きたい」という子もいるのだとか。

「この町に働きたい場所があると思ってもらえることが何より嬉しい。地域に希望をつくりたい、というのも、ずっと掲げているテーマなんです」と俊輔さんは目尻を下げる。実際に、FILや竹の熊には全国から応募があり、スタッフの半数以上が県外からの移住者だ。

先代から受け継いだ山を次世代に残すために

木が根を下ろし、地中に深く張り巡らせるように活動を続ける穴井夫妻。「次の挑戦は、宿泊施設かな(笑)」と明るく展望を語りつつ、軸足は常に本業でありライフワークの木材にある。「春から、小国杉を使って自宅を建てるプロジェクトに着手します」と俊輔さん。良質な建材が豊富な南小国で自宅を建てることがプロジェクトに?と聞くと、予想外の答えが返ってきた。

「実は、小国杉は祖父母世代が植えた木が育ち過ぎていて、現在の住宅を建てる機械の規格に合わなくなってしまって。立派な木ほど、低い価格しかつかない、という問題が起こっているんです。そこで、自宅には大きく育ち切った樹齢60年以上の小国杉を使って、どんなことができるか発信する材料にできたらと思っています(俊輔さん)

「前の世代の木が使いきれていないから、次の世代のための木も、生態系を守るための木も植えることができない、というのが現状です。状況を変えるための糸口にできたら(里奈さん)」

見た目がカッコ良いだけではない、自然や土地の歴史や、目に見えないものと繋がり、心を注ぐ家。それは紛れもなく、まだ誰も見たことのないFILの新しいプロダクトだ。

“What does it mean to fulfilling life?” その家はきっと、私たちに問いかけるだろう。そして、見る者の心に、本質的な豊かさの種を残してくれるはずだ。

FIL

writer:井関麻子

photo:大塚淑子

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