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天然クスノキを使って芳香剤づくり「屋久島らしさを残して新しいことを」【くすの木ガレージ】

私たちの暮らしを支える日用品には、昔ながらの伝統やものづくりが欠かせない。衣類の保管や防虫に親しまれてきた樟脳を、屋久島で手作りしているのがくすの木ガレージの内室二郎さんだ。天然のクスノキの香りと安全性の高さは、小さなお子さんがいる家庭などからの信頼も厚い。今や少数となった天然樟脳づくりを始めたきっかけ、屋久島の暮らしで得た気づきなどを内室さんに教えてもらった。

天然クスノキ由来の樟脳ができるまで

日本で古くから伝わる暮らしの知恵。樟脳とは、クスノキから作られる天然の芳香剤で、防虫効果も期待できる日用品だ。一般的に流通している防虫剤は化学合成品が多いところ、水蒸気蒸留法で木片から作る樟脳は、化学物質や添加物のアレルギーに悩む人でも安心して使いやすい。

「屋久島に自生する天然のクスノキを使っています。面白いのが、屋久島で採れるクスノキでも場所によって個性が違うんです。びっくりするほど樟脳が多く採れることもあったり、油が多かったりします」

樟脳をクローゼットに入れると、大切な服や靴を虫から守ることができる。スーッとした清涼感のある香りも心地いい。

「クスノキは丸太で買ってきて整えてもらいます。それからチッパーという機械で細かく切断していくんです。300kgのクスノキをベルトコンベアで水蒸気蒸留窯に運び、窯入れします」

「水蒸気蒸留に使うのは、工場の裏山から流れる天然水。時間をかけて蒸留し、冷却槽で冷やすと樟脳の成分が結晶化します」

「冷却槽から取り上げた樟脳には、黄色いエッセンシャルオイルも含まれています。オイルはアロマオイルのような使い方もできるんですよ」

「油と一緒になって浮いている樟脳を木綿の袋に入れて、脱水機で回転させるのが分離の工程です。乾燥させたら、樟脳の完成です」

丸太だったクスノキから樟脳ができるまで、1週間程はかかるという。結晶化の作業をするには暑い季節は向かない。涼しい季節が樟脳づくりに最適だと、内室さんが教えてくれた。

「樟脳と同じくらいの量のオイルができます。製造過程で水が残るんですけど、木の香りがするのでアロマスプレーのように使ってもらえます」

製材された丸太を受け取ってからは、作業を行うのは内室さん一人だという。

「手間暇かけるのが好きなんですよね。試行錯誤しながら仕事がしやすいように、いろいろとやり方を変えてきました」

先人たちの知恵を受け継ぐものづくり

関東から屋久島に移住した内室さん。移住前から屋久島を何度か訪れていたのだとか。

「僕は風景写真を撮るのが好きで、写真家を志していたんですよ。埼玉で舞台美術の仕事をしていたので、休みの融通が取りやすかったんです。3ヶ月仕事を休んでバイクで全国を周り、屋久島に立ち寄っていました」

「屋久島の森歩きをした時、晴耕雨読という民宿に泊まったんです。部屋から見える景色がすごく良くて、掴まれました(笑)。それからは他の場所にも一切行かず、屋久島だけを訪れるようになったんです」

屋久島は標高1,000mを超える山々も多く、原生林や多様な生き物が盛りだくさん。大自然に囲まれながら、内室さんは新しい夢を育んだ。

「宮之浦で結婚して、嫁さんと自然食品のお店をやりたいねと話していたんです。東日本大震災が起きた時は、生き方や暮らし方を考えるきっかけにもなりました。オーガニックにも興味が出てきた頃、宮之浦に空き家が出たという話を聞いて、10年位前に椿商店というお店を始めました」

樟脳作りを営んでいたのは、屋久島の住民の兵頭昌明さん。ものづくりの継承者として、内室さんに白羽の矢が立った。

「自然のものを使ったものづくりに憧れがあって、やってみようと思ったんです。最初はもう大変でした(笑)。わからないことだらけでしたから。ですが、昔のいろいろな経験が活用されていることがわかってきて、自分に向いているなと思うようになりました」

「屋久島の樟脳作りは、大正時代から昭和にかけて盛んに行われていたんです。産業として成り立っていたのですが、石油化学の技術の発達と共に、天然樟脳は手間も時間もかかって大変だから継ぐ人がいなくなっちゃって。最盛期は全国で2,000軒ぐらいあった樟脳づくりの拠点も減り、屋久島ではここ1軒だけになりました(全国には4軒)」

屋久島の自然との向き合い方は“自分次第”

内室さんはくすの木ガレージで樟脳づくりを続けるほか、「山ん学校21(以下、山ん学校)」の事務局としての仕事も担う。山ん学校とは、小学5年生・6年生・中学生を主な対象とし、山川海での遊び方を伝える団体だ。

「山ん学校の校長は兵頭さんで、僕は事務局です。雑用係ですね(笑)。僕がまだ旅人だったときから、いろいろ参加させてもらっています」

山ん学校では、塩炊きや山芋掘りなどを通して自然の中で遊ぶ面白さを体験してもらう。

「ナイフや火を使うのであまり小さい子どもは対象ではないんです。集団行動もしますので、ある程度大きくなっている子どもが対象です。屋久島の山、川、海をフィールドにして遊ぶのがテーマではあるんですけど、テーマを達成することがゴールじゃないんですよ。野山に飛び込んだ時点でもう達成しているんです。そこから子どもたちが自分自身で気づきみたいなものを見つけいきます」

一年ごとにカリキュラムが考えられ、子どもたちはここでしかできない体験を楽しんでいるという。

「やっぱり屋久島の魅力は景色ですよね。どこに行っても川が綺麗。山にも屋久島独特の景色があって、すぐそこには海もある。釣り糸を垂らせば子どもでも何かしら釣れます。自然が身近で、自分次第なんです。飛び込もうと思ったら、そこに自然がありますから」

屋久島らしさと新しさの融合で、未来を生み出す

自然食品や雑貨を扱う椿商店を開店し、国内でも貴重な天然樟脳づくりを続ける中、内室さんはこんな気づきにハッとしたという。

「オーガニックや有機野菜には、化学肥料が使われないんですよね。すると、土に負担があまりかからなくなります。たとえば除草剤をまくと土壌にすごく負担がかかるんです。そういうことがなくなるのは、オーガニックの良いところなんじゃないかな」

「くすの木ガレージも周辺環境に負担をかけていないんです。燃料は薪ですし、樟脳の製造過程で出る出がらしは廃棄せずに農業用の堆肥に活用します。うちってSDGsなんだな、と思うんです。昔のものごとからアイデアをいただいて、今のやり方に取り入れていくのが面白いですね」

地域に根付いたものづくりや地産地消には、環境保護や伝統継承など、かけがえのない想いや行動が込められている。

「メイドイン屋久島のような、その土地のものづくりにも興味があります。最近は若い人たちが頑張っていて、いろいろなものづくりをしていますよね。僕も旅行に行ったときは、そこの土地で頑張っている人から何かを買うようにしているんですよ。観光して見て終わりじゃなくて、その土地のものを身につけたり、食べたりすることが大切だと思うんです」

屋久島の魅力が世界にどんどん広まっていく中、地域を豊かにするためにこんな取り組みも始めている。

「屋久島で最近多いのが、里めぐりです。 集落や屋久島の歴史を見て回れます。里めぐりを通して知り合いが増えることもありますよ。僕の中では里めぐりがキーポイントというか、生活の一部になってきています」

「一湊の里巡りだと、漁港や海岸に行ったり、滝を見たり、くすの木ガレージにも来てもらっています。本通りを歩いたり、屋久島杉楼 七福というお宿に行ったり。七福を営んでいるのは、一湊で生まれ育ってUターンして帰ってきた馬場貴海賀さん。地元が大好きで帰ってきた子で、書家でもあるんですよ」

ご自身も若い頃に屋久島の虜になった内室さん。移住してから今までに、屋久島ではどんな変化が見られたのだろう。

「道路の周辺とかは変わってきましたが、僕が移住してから一湊はそんなに変わっていない感じがします。僕は登山も好きなのですが、登山道は整備されて変わってきましたね。当時は木の根っこを手で掴みながら登りましたし、階段なんてなかったですから。ですが今は人がどんどん多くなっているから、階段がないと荒れちゃうんでしょうね」

「白谷雲水橋の登山道などでは、石や倒木を活用して歩道を整備するようになってきています。いかに屋久島らしさを残して守りつつ、新しいことを生み出していくか。去年と一緒ではやはり面白くないですよね。常に何か考えていきたいです」

くすの木ガレージの樟脳づくりには、伝統や先人たちの想い、現代にも通ずる大切な営みが感じられる。屋久島らしさが詰まった天然樟脳で、日々の暮らしを愛しんでみるのもおすすめだ。

くすの木ガレージ

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