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喜界島の地酒文化を醸し続ける、島でたった2つの酒蔵の挑戦【朝日酒造・喜界島酒造】

かつてはその土地で手に入る原料を用いて当たり前につくられ、「地の酒」として飲まれていた焼酎。なかでも奄美諸島でのみ製造を許されている焼酎が、黒糖焼酎だ。今、奄美諸島群の中でも喜界島でこの酒をつくり繋いでいるのは、たった2つの蔵。造り手たちは、それぞれに何を思い、どのように酒づくりを続けているのか。朝日酒造と喜界島酒造、2つの蔵を訪ね話を聞く中で見えてきたのは、黒糖焼酎の成立に、翻弄され続けた奄美諸島の歴史が密接に結びついていること。「歴史の傷跡」ーー取材中に投げかけられた、そんな言葉を身近にしながらも、しかし造り手たちは、時代の波という大きなうねりに乗り、島の内外に思いを寄せながら土地や歴史を引き継ぎ、島の文化を醸し続ける。セーヤ(島の酒蔵)たちの挑戦から、私たちが心にとめたい「今」を生きる術を学ぶ。

島の紆余曲折とともに歩んできた、黒糖焼酎のこれまでと現在地

芋、米、麦、そば・・その地域でとれた原料を生かしてつくられてきた焼酎は、九州を中心に広く日本各地でつくられてきた。そのうちの一つ、黒糖を使った黒糖焼酎は、全国でも奄美諸島のみで醸造をゆるされた酒類だ。酒とは、もともと土地と密接に繋がっていたものなのであった。

「お酒ってもともとはそういうものですからね。どこに行っても地酒屋がちゃんとあって、それを地域の人が消費することで商圏ができあがっていて・・テレビや物流が普及するまでは、普通のお酒のルートはそれだったんです。 だから、いわゆるナショナルブランドっていう全国規模のお酒ができたのはここ20〜30年の話で、焼酎は『地酒』そのものだったわけですから。喜界島だと、酒といえば黒糖焼酎のことを言いますし。・・それぞれ地元で『酒』って呼ばれるもの、ちゃんとした地酒が、特に地方にはあるもんなんです」

鹿児島県奄美群島の一つ、喜界島。珊瑚礁でできた小さなこの島にある、黒糖焼酎の蔵の一つ「喜界島酒造」の代表、上園田慶太さんは焼酎、ないし地域における酒についてそう語った。上園田さんは現在、創業100年を超える喜界島酒造の6代目として社長を務める。

黒糖焼酎は、文化庁による100年続く食文化を認定する「100年フード」にも選ばれている(令和5年度)。しかし実際に黒糖焼酎の製造が本格化するのは1946年、奄美群島が米軍統治下になってから。この周辺国からの「統治」の歴史的背景無くして、奄美の黒糖焼酎は語れないので、駆け足にはなるが触れておきたい。

琉球王朝の支配下から1609年薩摩藩の統治下にかわり、奄美でつくられた黒糖はもれなく薩摩に納められることになった。黒糖による焼酎づくりも禁じられたため、奄美の人たちは黒糖を口にすることは御法度。当時は、代わりの原料(芋、ソテツ、椎の実、あわ、麦など)によってつくられた自家製の焼酎が、人々を癒していた。明治時代に入り、自家用酒の製造が禁止されて以降も、各家庭で密造酒的につくられていたらしいが、1946年に米軍統治下となったことで本土では禁止されていた自家醸造が許可される。これが、奄美における黒糖焼酎としての歴史上の明確な一歩となった。

・・が、しかし、そこから7年後の1953年、奄美は日本本土に復帰。これにより、日本本土の酒税法の適用を受けることになり、これまで通りに黒糖を原料とする焼酎をつくれない(ラム酒と同じスピリッツ扱いになり、それまでの何倍もの酒税率がかけられることになる)ことになりかける。そこで地元が立ち上がり、政府に陳情。「奄美諸島でのみ、純黒糖と米麹を必ず使用すること」を条件に、特例として黒糖焼酎の製造が認められることになった。

「・・かつて原料にできなかった貴重な黒糖を原料とした焼酎が奄美の特産になっている。特産といえば、原材料がその土地の特産品であることを連想するが、奄美の黒糖焼酎はそれに加えて奄美群島区以外の地域で製造することが許されていないという条件が加わり、まさに特産中の特産といえるものである。このように生産地域が限定されているのは黒糖焼酎以外にはない」

(『かごしまの食文化(焼酎)調査事業に係る調査報告書』/鹿児島県教育委員)

紆余曲折、多くの苦労の末に、この島と黒糖焼酎の現在地があるのだ。

喜界島酒造には、全部で何十種類もの銘柄がある。代表銘柄である「喜界島」「伝蔵」以外にまじり、「特攻花」という銘柄も。海軍特攻隊の中継基地であった喜界島の歴史を忘れないようにと平和への祈りをこめた銘柄なのだと、上園田さんは話す。

「喜界島の歴史をアピールできるようなものを作らないといけないなっていう思いがあった。いかにも島らしいお土産っていうのも一つですけれど、こういう歴史に絡んだものっていうのもいいんじゃないかなと思って」

法の「縛り」が生んだ、食事にも合う蒸留酒

一口飲むと、舌の上にしっかりと、しかし嫌味なく広がっていくコクのある甘味。黒糖焼酎に米麹の使用が義務付けられたことが黒糖焼酎にとってプラスに働いた、と朝日酒造の代表・喜禎浩之さんはいう。同社も1916年創業、2016年に100周年を迎えた歴史をもつ。

「実際には、沖縄から麹を造る文化ってのはもともと伝わっていたので、麹を使うことは大変なことでもなかったわけです。今考えれば、米麹が入るおかげで、ラム酒と違う風味も出せますし、お米から来る米の甘さも加わって、黒糖焼酎独自の風味が生まれる。だから、食事と一緒にも楽しめる。 いい方向にはなってくれたんですよ。世界にはウイスキー、ブランデー、ジン、ラム、ウォッカ、テキーラ、いろんな蒸留酒がありますけれど、どちらかというと単体で楽しみたいお酒。食前から食後まで食事と一緒に楽しめるのは焼酎だけなんです」

実際に朝日酒造での商品開発は、自分たちの食事のシーンと地続きだという。ラインナップで食前酒から食後酒まで、合わせたい料理やつまみ、飲み方まで紹介できると話す。

「私たちの焼酎造りの場合は、『こんなお酒があったら、この料理と合わせたら面白いかもね』とか『こういう雰囲気のお店だったら、こういうボトルだったらいいかもね』といった、普段の飲み食いから始まるんですよ。『最近こういう味わいが流行ってるから、こういうのを造りましょう』じゃない。そこは他の蔵元さんが得意な分野だったりもするので・・そうじゃなくて、自分たちのできることで、なんか楽しくできないかな〜というのが、スタートなんです」

楽しくできないかーーただ面白そう、ではない。「酒づくりのテーマとして『焼酎を通して喜界島を伝える』というテーマでやっているので、それぞれ(の銘柄)が喜界島を感じられるように設計してるんです。ボトルの見た目とか名前とか・・ただこういうの造りたいね、だけじゃなくて、その背景にあるストーリー、できあがる過程や思いもしっかり語れるような商品じゃないと造らないようにはしています」

たとえば、「たかたろう」という銘柄。「梅雨明けに立ち上る入道雲を見ながら飲むお酒をつくろう」というイメージから、軽快に飲めるお酒として開発。「たかたろう」は喜界島の方言で入道雲を指す。また、蒸留を開始して最初のうちに垂れてくる貴重な部分を集めてつくる華やかな甘味が特徴の「南の島の貴婦人」は、その香りに誘われて喜界島で優雅に舞う蝶々・オオゴマダラがやってきた・・というストーリー。それに合わせて、サトウキビを模した瓶も特注でつくってしまった。

お酒の「良いコミュニケーションツール」としての地位を復興したい

黒糖焼酎は島の人たちが、他の誰かとともに島で楽しい時間を過ごすためのもの。いわばコミュニケーションツールのツールだという点は、2つの蔵が共有する思想だ。黒糖焼酎をフックに、島の皆が繋がることはもちろん、島を知ってもらったり、島に来てもらったりしてファンになってもらうことが理想だと、上園田さんは話す。

「(若い世代の酒離れについて)楽しかった酒飲みの世界っていうのを上手に知ってほしい。もう少し日常の中にね、お酒が楽しいツールとして入り込んでいってくれたら嬉しいのになと思う。悪い側面ばっかりが今とかく注目されがちになってるので、もっと楽しい側面をもうちょっと伝えられるいい方法がないのかなと、そういう場を持つということを、もっと心がけていきたいなと思ってます 」

実際に、仕事の繋がりのある関係者を島に呼び、バーベキューしたり、島の名物を振る舞ったり、名所を案内することも、めずらしくない。喜界島での体験とともに良い記憶が残ることで、「また来たい」という島のイメージが、その場の関係の居心地のよさとともに広がっていく。自然とお酒の席へのネガティブイメージがいいものへと切り替わっていく。

「酒の縁っていうのを楽しくするのが大事。使い方一つで、(関値がどんどん)繋がっていきますんで。だから、ぜひ若い人たちも、そういう(お酒の)楽しみを、もっと体験してほしい」

焼酎を通して紡ぐ今とこれから、島の未来

次の時代を見据えて、何を行いたいと各社代表はその先にどんな歴史を重ねようとしているのだろう。

「海底貯蔵ですね。効果は絶大で、(黒糖焼酎を海底で)半年寝かせると3年分ぐらい寝かせたぐらいの熟成をするんです」(上園田さん)

ステンレスなどの頑丈な箱に黒糖焼酎の瓶を入れ、海底30メートルくらいの深さに沈めるのだという。

「平成19年か20年ぐらいから始めたんですが、付加価値が載せられたら面白いじゃないっていうので、絶対おもしろいからやってみようと」

結果、予想を超えるおいしさで、社内で大好評だったという。

「まず絶対光が入らないことと、一定の温度であることがものすごく大事なんですよ。それと、やっぱり適当な揺れがあること。やっぱ偏りが出ますから、沈殿したり・・そこにちょっとでも対流が起きると、瓶の中が混ぜられる。そうするとどんどん均一になっていくっていうのがあるんです」

最初のトライからすでに30年強。すでに味の検証は大体ついてはいるが、まだ販売に至っていないのには、沈ませて回収するまでのハードルが高いから。実は何度か箱ごと流れてしまったり消えてしまったりしているのだという。真相は藪の中、ならぬ海の中か・・

「今回の沈めたもので熟成が確かめられたら、安定して海底貯蔵ができる場所かどうか、どれぐらい(の量が)できるかという見通しを立てて、容器なども選定した上で3年後ぐらいからは何らかの形で出したいなと思ってますね」

実際に成功したボトルを見せてもらった。真っ白な珊瑚がその形を残したまま細かく「生えた」瓶は、さながらアート作品のよう。まさに新たな付加価値を与えられたプレミアムなお酒といえる。

瓶に詰められた島の空気。酒を通して、遠い土地が身近になる

朝日酒造の描く未来は、どんなだろうか。次に何か企んでいることは? 喜禎さんに尋ねると、「まあ、変なことを考えるのは得意かな(笑)」と笑いながら、続けた。

「でも基本的には、黒糖の風味を楽しめるお酒を作りたいっていうのがありますので・・せっかく黒糖というめずらしい原料を使っているので、その黒糖という香りを楽しめないお酒だったら、別に我々がやることじゃないかな。黒糖の香りを感じられる範囲の中で色々遊びたい」

黒糖の香りにこだわる朝日酒造は、黒糖焼酎の原料となる黒糖の製造、さらには黒糖の原料であるサトウキビを自社で有機栽培にてつくってもいる。実は黒糖焼酎の原料となる黒糖は、生産量が多い沖縄産がメイン。

「うちの黒糖(サトウキビ)は有機栽培で農薬、化学肥料を使ってないので、 化学肥料から来るエグ味がない。さらに、サトウキビの表面に塩風による塩がついてると、しょっぱい黒糖ができあがるので、収穫したサトウキビを洗っているんです。塩や土をしっかり洗い流したサトウキビを絞って、そのジュースを使っているので、純粋に黒糖の甘さが残る。だから甘さがスッキリしているんです」

焼酎は、蒸留過程で蒸発する成分と蒸発しない成分に分けられる。蒸発する成分が焼酎本体になり、蒸発しない成分の方には、糖質・プリン体・ミネラルなどが残る。これらは「焼酎カス」となってしまうのだが、これを朝日酒造ではサトウキビの畑の肥料にするのだという。

「焼酎カスは栄養たっぷりなんです。私たちは、米を洗った後の米の研ぎ汁も、サトウキビを絞った後の絞りカスも、畑に戻します。そこでまたサトウキビを栽培して、黒糖を作って、焼酎を造る。全部畑に戻すことができる」

肥料として活用しているこの焼酎カス、将来的にはサプリを開発するなど何か他の用途に使えたら・・という構想もあるようだ。

喜界島。一色では括れないグラデーションによる海の青、力づよく野生味溢れる木々の緑。直視できないくらいの太陽が輝く抜ける空に、その光を照り返す真っ白な砂浜。湿気を含んだ空気、ひらりと突然に舞うように現れる蝶々たち・・

「焼酎のボトルの、焼酎が入ってるところと(入っていない)空気の部分があるじゃないですか。あの空気の部分って、喜界島の空気なんですよね」(喜禎さん)

喜界島の空気を閉じ込めて、黒糖焼酎は遠く離れた我々の元にやってくる。今日も島では、歴史が受け継がれ、更新されているーー五感から風景を味わう体験を通して、そのことを島の酒は私たちに教えてくれるのだ。

朝日酒造株式会社

喜界島酒造株式会社

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