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「どこにでもある島のみかん」の価値に気づいて欲しい。二組の夫婦が回し始めた、雇用と経済のサイクル

鹿児島県 喜界島。亜熱帯性気候であるこの島には、この島固有の柑橘類がいくつも存在している。昔はどこの家庭でも育てられ、日常的に食べたり料理に使われたりしていた。他のどこにもない独特の香りを持つ、この島だけが持つ貴重な宝。……なのだが、今の若い層にとっては遠い存在になりつつあるという。

そんな島みかんという存在に光を当て、喜界島に新たな経済のサイクルを生もうと、ともに励む人たちがいる。農作物の生産から商品化まで行う「SONTAR GARDEN」(ソンターガーデン)とクラフトコーラ「TOBA TOBA COLA」(トバトバコーラ)だ。島みかんである「シークー」の実の部分をTOBA TOBA COLAの原料に、皮の部分はSONTAR GARDENが精油づくりに。それまで島では「どこにでもあるもの」とされてきた素材の価値を見直し、協業することで無駄のないサステナブルなものづくりを実現させている。それぞれの立場で島みかんに向き合う両者に話を聞くなかで、協業を成功させ、地域に新たな循環を生むための秘訣が見えてきた。

「どこにでもある」島みかん「シークー」から生まれたコーラ

珊瑚が隆起してたことでできた喜界島は、ミネラル分を豊富に含む土壌でこの島特有の植物や農作物を育んできた。在来種島みかんも、その一つ。喜界島はどこの家庭でも島みかんの木を植えており、島の至るところで柑橘の木を見ることができる。自生しているものも多い。その中で、どこにでも生えており、酸っぱいためにあまり食用にもされず、島の中で「どこにでもあるもの」として日の目を浴びてこなかった品種が、「シークー」だ。ただ、その皮にはアールグレイティーの香りであるベルガモットと同じ成分が含まれており、香り高さでは価値ある素材。

このシークーからクラフトコーラを作ることを思いついたのが、甲原和憲さんと真子さんだった。真子さんの実家である喜界島を訪れた時のことを、和憲さんはこう話す。

「シークーが島中になってて、それを真子のお父さんが案内してくれている時に、このミカンも全部食べれるんだよ、と教えてくれて。食べてみたら酸っぱくて、ただもうこれだけ量があったらなんか使わんともったいないなって思ったのが、最初のきっかけです。クラフトコーラの存在自体は知っていたので、このみかんの果汁を使ったらクラフトコーラができるよね、あとザラメも喜界島産のきび糖が使えるよね……って」

当時、それまで住んでいたシンガポールから和憲さんの実家である福岡に戻ってきていた二人。島からシークーを送ってもらい、その果汁でひたすら家のキッチンで試作を繰り返す日々が始まった。シンガポール時代にスパイス文化には触れていたが、体当たりのクラフトコーラ作り。半年以上毎日のように試作を重ね、ようやく理想の味にたどりついた。喜界島の夕日の色やソテツの実をイメージしたという深いオレンジ色が印象的なパッケージやwebサイトのデザイン、写真などのクリエイティブは、真子さんが手がけている。

製造は島の農産物加工センターで行うことにした。販売に足る量を、センターで安定して作れるようにするための味の調整にまた一苦労。なんとか初回販売数となる100本を完成させ、お披露目イベントを開催。……そこに、コロナが到来した。

店舗での対面販売や営業ができなくなってしまったことで、苦肉の策として考えたのが、移動販売。福岡の知人の飲食店とともにマンションの下で販売を行ったことは、コロナ禍における新たな販売戦略として、テレビでも取り上げられた。

なんとか無事に売り切ったが、まだとても島に帰れる状況ではない。ということは、追加生産ができない。困った二人は、予約販売という形でクラウドファンディングを実施することに。クラフトコーラファンや喜界島に関わる人たちの支援もあって、見事120万円ほどの支援を達成。半年ほど経ったタイミングで、ようやく喜界島へ戻り、製造再開に漕ぎ着けた。

島みかんの価値を伝えたい。未経験から、誰もしない農業への挑戦

そんな甲原夫婦の動きを知って、電話をかけてきた人がいる。それが、SONTAR GARDENの園田裕一郎さんだった。SONTAR GARDENは、地元ならではの農作物を育て、シロップやジュース、精油などへの商品化まで手がける。農業を主要産業とする喜界島内でも、生産から商品化まで手がける農家は多くない。

先代のあとを継いで農家になった園田裕一郎さんだが、小さいころ、両親が深夜まで働いていた記憶が鮮明に残っていたため、農業に対して「つらい仕事」というイメージしかなかった。そんな彼が農家になるきっかけとなったのが、やはり島みかんだった。

島を出て別の職種についていた園田さんは、勧められて受けた喜界町役場の試験に合格したことで「いずれは戻らんとなと思ってはいた」という故郷に24歳で帰還。役場勤めの間に、農業振興課に異動したことが転機になる。

「農家さんと関わっていくうちに、農作物が収穫できる時の農家さんのうれしそうな顔がすごく印象的で。農業って楽しいんだろうなと。自分でも係(農業振興課)になったからには農家さんと対等に話したかったから、中身を分かってないと喋れないなとも思ってやってみたんです。……やってみたら意外と面白い。大変だけど、大変な中にも楽しい部分、喜びの部分があるなと思って、農業に目覚めていった感じでした」

農家の育成施設である営農支援センターで、パッションフルーツなどの栽培を手伝いながら学び、自分でも作り始める。大変だけれども喜びの大きい、農業の面白さにハマっていった。そんな折に、一つの古い新聞記事を見つける。祖父が島の在来種である「花良治みかん」を島の有志たちと守るべく苗を植えて育てる活動をしている、という内容だった。裕一郎さんとともに農業を担う妻の綾乃さんはいう。

「花良治みかんは青い時に収穫して、薬味として使ったりすることが多いんです。島の人に重宝もされるんですけど、でも実際に作ってまで欲しいかというと・・風に弱かったり病気に弱かったりして普通の島のみかんよりも作るのがすごく難しい。あったら欲しいし買いたいけど、でも自分たちで作るのは難しいし、手間がかかるから作らないという感じで・・島内でもある分が出回るだけ、島外に出ていくこともなかった。みんなに知ってもらおうっていう活動も全然なくて。でも、いいものだから、やっぱり自分たちが作って、それを広めたいって思ったんです」

当時、裕一郎さんはまだ役場にいた。早速、花良治みかんを一緒につくらないかと方々に呼びかけたが、なかなか伝わらない。

「僕はまだおばあちゃん子だったから、島のこういう在来のみかんをよく食べたりだとかしてたんですけれど、もう僕らの年でも、 島のみかんをあまり食べたことがない、そのもの自体を知っている人が少なくなっているんです。そして逆にもっと上の世代の人は、昔からよく食べたり活用していたので身近なもの過ぎて、価値をわかっていない。どこにでもある木、というイメージなんです」

変わらない状況を前に、裕一郎さんは、自ら農家として花良治みかんを栽培することにした。

「僕がいろいろ言っても、僕が見ているビジョンは他の人には見えないから。僕がやってみせることで、それが他の人たちにも見えたらついてくる人が出てくるだろうな、と考えたんです」

シークーの実を民家から買い取り、皮を精油に、果汁はコーラに

工場をつくり、農作物をつくるだけでなく、製造まで行いたい。そう思っていた矢先に耳にしたのが、同じく島みかんに価値を与えようとしているTOBA TOBA COLAの話だったのだ。こうして知り合った裕一郎さんと和憲さんは、たまたま同い年だったこともあり意気投合。早速、協業が始まった。

「(SONTAR GARDENは)まだ自分たちの工場を建てる前やったんですけど、工場を立てたら精油を作りたいと、裕一郎から聞いて。自分たちは(シークーの)果汁をコーラに使える。皮はSONTAR GARDENが精油に使える。……おお、いいやん!と」(和憲さん)

元々、島のどこにでもあって、目を向けられていなかった植物から、新たに価値を生む。しかも、その素材を余すところなく使い切る。これだけでも十分に地域課題の解決策として美しくサステナブルなのだが、この商品化・協業はさらにもう一つのサイクルを生んでいる。

TOBA TOBA COLAは、収穫から製造まで全工程を島で完結させることがコンセプト。収穫の時期は1年に一度。12月〜大体2月の終わりから2月初めぐらいまでの2ヶ月ほどなのだが、甲原夫婦は畑からそれを採るのではない。

「基本民家になってるんですよ、シークーって。なので、民家を回って、シークーを買い取りに回るっていうのが『収穫』なんです」(和憲さん)

「シークーは基本的に、島内の人から買い取っているんです。みんなもうタダで持っていっていいよ、という感じなんですけど……『みんなにお渡ししてるので』ってお金をお渡ししたらやっぱり喜んでくれて、『来年も持ってくるね』って言ってくれたり。しっかりお金を払って買い取ることで、『シークーっていいものなんだ』って思うと、シークーを大事にしてくれる。シークーは価値がないのではなくて、ちゃんと大事にしたらお金になるみかん、柑橘なんだっていうのを意識づけられたらいいかなと思って、買い取りしています」(綾乃さん)

それぞれの商いの成長が、互いの成長にも繋がる協業スタイル

ちょうど同時期に、商いを始めた二組。その後お互いに順調に栽培・製造・販売を伸ばし、安定的に生産を続けている。 TOBA TOBA COLAの販売数が増えれば、それだけ精油をつくる量も増える。一蓮托生スタイルだ。和憲さんは、最初の園田さんとの出会いを、「勢いがついたきっかけでもありますね」という。

「今年は3トンのシークーの実を加工したんですけれど、それを全部SONTAR GARDENの工場で絞って、果汁にして、それを冷凍庫に保存して・・という作業をして。みかんの果汁を1年分とるのって相当なことなんですよ」

現在40ほどの卸先を抱える今、多い時で、TOBA TOBA COLAシロップの中サイズ(310g)を600本、小サイズ(115g)を1,000本以上もの量を、一ヶ月に製造している。その工程は今も変わらず、すべて島内で完結させている。基本的な製造は農産物加工センターで夫婦二人で行っているが、果汁の加工作業をSONTAR GARDENに任せられることは大きい。

将来的には、毎日少しずつでもいいから作れる製造拠点や販売所を自分で持ちたいとも話す。

「島に来てくれる人がたまにいらっしゃるんですよね。そうした方が目指せる場所、飲むこともできる販売所みたいなところを作りたいっていうのは、ずっと思っています」

対してSONTAR GARDENの方も、農家を継ぐきっかけとなった花良治みかんの栽培も順調だ。福岡の苗木業者に依頼し、花良治みかんの苗を大量に仕入れられるようにして320本ほどを一気に植樹。2015年時点で0.8ヘクタールだったのが、2023年時点で5.1ヘクタールに。8年かけて、6倍ほどまで増やすことができている。

「最近はこの新聞記事の時よりは、だいぶ面積的にも増えてきた。ただ植えたばかりなので、まだ収穫はできません。あと数年すれば、ある程度まとまった量が採れるだろうなと思います」

SONTAR GARDENのパッションフルーツのシロップを使った限定フレーバーの「PASSION TOBA TOBA COLA」など、2ブランドのコラボ商品も生まれた。両者の協業は今後も止まらない。

島に雇用を生みたい。さらに見据えるその先の島の風景

こうなると気になってくるのは、シークーという素材量の限界だ。シークーは今、島で全部で20トンあると言われてるが、こうして光があたり始めたことで、需要が増えて取り合いになってしまう未来もありえる。そう考えて、今は自分たちでも苗を植え始めてもいると話す。また、TOBA TOBA COLAの創業から変わらぬ二人の目標は、「島に雇用を生むこと」だという。

「島に雇用を生みたいっていうのは最初からあったんです。今は島で働く場所が、あまりないんですよね。すっごく大きな目標としては、人口を減らさないようにしたいんですよ。じゃないと、どんどん小さい島になっていくから。それはどこの島も同じように課題としてると思うんですけれど、どうせ起業するなら、そこまでいきたいと掲げたのがあるんです。……まだ全然ですけど(笑)」(和憲さん)

ー【喜界島でしか作れないもの、喜界島だからできること】をコンセプトに楽しく農業展開中!ー

SONTAR GARDENのwebサイトには、そう掲げられている。Instagramを覗けば、園田ファミリーや関わる仲間たちの笑顔がはじける。裕一郎さんの強い島への思いから始まった花良治みかんの栽培は、同じく島出身者である綾乃さんにとっても、「やりたい仕事」に踏み切るきっかけをもたらしてくれたという。

「以前から島のお土産品を作りたいっていう思いがあったんです。自分が(島外の)誰かに渡す時にもいろいろ選択肢があったらいいなと思っていたので。なので、今こうして実際に自分たちが育てた作物でいろいろな商品を作り始めて、すごく楽しいんです」(綾乃さん)

取材中、二人だけでTOBA TOBA COLAの全工程を行う業務の大変さについて話をふると、和憲さんから返ってきたのはこんな言葉だった。

「でも、けっこう楽しくやってる感じなので……(事業がここまで来たのも)あっという間という気もします」

「トバトバ」とは、喜界島の方言で今にも飛び立ちそうな「うきうき」した様子を指すという。とにかく楽しく、明るい方へ。常に気負いなくまっすぐに良い方を選び進んできた彼らがつくる次の島の魅力は、風景は、どんなだろう。トバトバな気持ちで、心待ちにしたい。

SONTAR GARDEN

TOBA TOBA COLA

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