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「間違って切れては駄目」包丁作りに込められた思いやり【貝印】

刃物のまち関市で1908年に生まれた貝印。創業以来ずっと製造し続けてきたのが刃物製品だ。ポケットナイフやカミソリなどロングセラー商品のほか、近年は「関孫六」など高級包丁の評判も高い。貝印の包丁の切れ味が鋭く使いやすいのは、人の手によって磨き上げられているから。貝印の大和剣工場で工場長を務める製造本部の西部正史さんと研究開発本部 開発部の三品順司さんにお話を伺うと、貝印がものづくりに懸ける想いが伝わってきた。

機械任せにはしない貝印のものづくり

カイインダストリーズ(以下、貝印)の生産拠点があるのは、岐阜県の関市と郡上市。ここで日々、高品質のカミソリや包丁が生産されている。高校卒業から41年間、貝印の工場で働き続けてきた西部さん。最初に配属されたのは関市の小屋名工場だったという。

「小屋名工場でカミソリの刃付けをすることになったのですが、貝印の中ではカミソリが一番のメインどころ。しかも刃付けというところで非常に大事な工程でした。それから17年ずっと同じ職場で生産をして、35歳のときに第一工場の工場長になったんです。前任の工場長が異動することになり『西部、やってみろ』と言われまして……」(西部さん)

不安を感じつつ、西部さんの工場長としてのキャリアが始まった。カッターナイフやカミソリ組立の工場でマネジメントを経験し、現在は郡上市にある大和剣工場で包丁の生産を管理している。貝印では工場に機械を導入しているが、随所で光るのが人による手作業。包丁完成までを機械だけで完結させず、細やかな部分は人の手でブラッシュアップさせる。

「工場では、各工程にリーダーの役割をする代表者が一人いて、その人に工場長が指示を出して広げていきます。機械トラブルが発生した場合は専門の保全チームがまず対応しているんですよ」(西部さん)

110年を超える歴史の中でトライ&エラーを続けることができたのは、現場のチームワークや管理体制が行き届いているからだろう。

「一番大切にしていることは、働く人が安全に毎日怪我なく1日を終えられること。数的な目標がありますし、人それぞれこだわりがあるものですが、気持ちよく仕事をしてもらいたいです。工場ではそういうところを意識しながら『頑張ろう』という雰囲気を高めることを大事にしています」(西部さん)

刀鍛冶の信念と技術を継承した包丁「関孫六」

貝印が近年力を入れているのが、高級タイプの包丁だ。価格帯は一丁で1万円を超えるが、品質は折り紙付き。プロの愛用者も多く、特に「関孫六」シリーズの認知度が高まっている。

関孫六は、刀鍛冶の信念「折れず、曲がらず、よく切れる」と技術の双方を継承して開発された。切れ味や研ぎやすさにこだわり抜き、貝印の独自製法や新技術がふんだんに取り入れられている。

開発部の三品さんによると、「包丁づくりは部品が非常にシンプル。限られた部品で構成されながら、要求事項が高い」のだという。

「包丁の開発では、何か一個の特徴をポンと突き抜けさせることはできますが、そうするとバランスが崩れて悪くなります。基本的な設計や削る形状だとか、ちょっとしたことを変えただけでガラッと変わってしまうんです」(三品さん)

関孫六シリーズが持つ切れ味の鋭さ、手入れをする上での研ぎやすさは格別。料理人を始めとして多くのユーザーが、関孫六を愛用しているそう。

「生産の工程では、随所で品証チェックが入ります。たとえば刃付けの完了時の抜き取りでは、数値検査を実施。もちろん包丁としての切れ味も検査もします」(三品さん)

開発部は商品企画部が提案するデザインを具体化し、工場では技術力で高品質を保つ。こうした連携を貝印は脈々と繋げてきた。

「海外では『旬Shun』シリーズの包丁の認知度も高まっています。貝印で働いた歴代の方々が、今のレベルまで引き上げてくださったものですから、私たちが継続し、また広げていきたいです」(西部さん)

より良い製品を生み出すための歩み寄り

世界中にたくさんのユーザーを抱える貝印の包丁。その一つひとつにはたくさんの想いやこだわりが詰まっている。

「包丁では年に一回程度、リニューアルや新シリーズの開発があります。マーケティング部や商品企画部がコンセプトやデザインを決めて、平面の絵にまとめます。開発部はそれを立体的にして、ちゃんと作れるのか、機能面を落としていないか確認するのが仕事です」(三品さん)

さらには価格などコスト面も考慮し、製品として磨きをかけていく。完成に至るまで、侃侃諤諤の議論は欠かせない。

「『スペックは絶対に落としては駄目だから、それ以外の削れるところは削りましょう』とかしのぎ合いですよね(笑)。たとえば『全部ミラー状にして、ピカピカの綺麗な包丁にしたい』と言われたら、そんなにデザイン重視で大丈夫なのかなと思います。使ってみたら滑ってしまって危ないですから『そこは変えなきゃ』『エンボス加工をつけて滑りにくくしましょうよ』と提案させてもらうんです」(三品さん)

包丁ひとつひとつが持つ個性は、ユーザー視点の議論から生まれてきたものだという。

「刃物の中でも包丁は一番切れる部類の商品です。(物を)切れなくてはいけないですが、間違って切れても駄目。使い方を間違えると滑って落としてしまったりします。限界はありますが、ユーザーが怪我をしないように一番良いバランスを目指しているんです。もっと先のユーザー視点で考えると、お互い歩み寄れるところが出てくる。(議論では)そういう話し方を意識しています」(三品さん)

課題解決を導くアイデアは意外なところから

貝印はもともと、包丁やカミソリの製造で成長してきた企業。110年を超える歴史の中で、新たな分野へ幾度も挑戦し、製品を積極的に増やしてきた。貝印ではどんな風に手さぐりの挑戦を乗り越えてきたのだろう。

「私が30代前半の頃、貝印は理美容業界向けの刃物生産を始めることになり、私が担当者になりました。当時の貝印は家庭で使われる刃物は生産していましたが、理容師さん向けの商品は生産していませんでした。開発のために新しい機械を導入したのですが社内にノウハウがなく、一か月たっても立ち上げることができなかったんです」(西部さん)

そんな時、コーヒー飲みながらひと休みしていた西部さん。「困ったなぁ」と頭を抱えていたところ、とあるアイデアが浮かんだそう。工場に戻ってそのアイデアを試したところ、機械の稼働が無事に成功。理美容業界向けの刃物製品は、今でも貝印の重要な部門となっている。

「休憩をしていなかったらいつまでも答えが見つからなかったかもしれません。人に聞くのは早道ではあるんですけど、当時は社内にも、機械メーカーにも答えを知っている人がいなくて、自分で考えてみたんです。ヒントはいろいろなところにあるんですよね。自分の中ではあの休憩があったから、いろんなことができるようになったんじゃないかと思います」(西部さん)

どんなアイデアが浮かんだのか気になるところだが、それは貝印の企業秘密。答えはそう簡単に得られるものではないのだ。

明治から続く岐阜とのご縁で地域を元気に

貝印の歴史は、1908年(明治41年)に初代社長の遠藤斉治朗が岐阜県関市に創業したのが始まりだ。創業から途切れることなく続いてきた岐阜県とのご縁。貝印で働く人々が感じる岐阜の魅力を伺った。

「関も郡上も自然が豊かです。郡上は長良川の水が綺麗で鮎が有名。貝印の社員にも友釣りが好きな人がいます。鮎釣りのジャパンカップが郡上で開催されるので、釣り好きの人が集まってくるんです。道の駅では鮎の塩焼きが500円で食べられますよ」(西部さん)

刃物のまちとして歴史ある関市、清流で鮎が生き生きと泳ぐ郡上市。それぞれ魅力の多い街だが、過疎化や少子高齢化の波が押し寄せている。

「貝印は高級包丁が好調で増産を考えているのですが、生産性を上げるための人材が集まらないんです。特に若い人ですね」(西部さん)

若者が進学のために岐阜を出て戻ってこないケースが多く、地域の高齢化が進んでいるのが課題。地域の魅力をいかにして外の人に知ってもらうか、地域に残る若者を増やすことができるかが鍵になる。

「刃物にマニアックな方は結構いらっしゃるので、日本全国からお客様が(岐阜に)見えるんですよ。関孫六の認知度が上がったり口コミが広まったりして、外から人が入ってくる流れができてほしいです。そうして郡上の若い方が地域に定着して、地域貢献をしてくれるようになるといいですよね」(三品さん)

いつの時代も挑戦を続ける貝印。ユーザー視点のものづくりで生まれた製品は、たくさんの人々の生活を豊かにしてくれる。貝印の製品に魅了された人は、創業の地を訪れてみるのもおすすめだ。

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